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人は自然を食べられなくても、
触れることで体と心が目を覚ます。
庭は、その目覚めの一口。

『ただ自然は、やさしくない。』

私は、最初から自然や庭に強い関心があったわけではありません。
子どもの頃に惹かれていたのは、城や街並み、建築といった「人がつくった風景」でした。

けれど東京での生活の中で、いつしか体が自然を求めるようになります。

高尾山や鎌倉の寺社を歩き、その延長線上で、那智大社から熊野古道を通り京都まで歩く旅に出ました。真夏の山で脱水になり、杉林の水たまりの水を飲んだことがあります。
渋みで口の中がいっぱいになりながらも、あのとき確かに、自然に助けられたと感じました。

一方で、暗くなった山道の怖さや、里の灯りを見たときの安堵も、同時に知りました。

自然は、美しいだけではありません。
厳しく、不快で、簡単には人を受け入れてくれない。
だから庭では、自然をそのまま持ち込みません。
人が安心して、深く感動できるところまで、設え直します。

岡山県倉敷市の造園・外構MiDGREEN

MiDGREEN代表 川崎克典

2011年に独立後、作庭家のもとでの修行を重ね、京都造形大学ランドスケープコースにて専門性を深める。
現在は地元岡山を拠点に、庭と風景の設計・施工を行っています。

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自然は、やさしくない。

    だから、庭にする。

『思想を、庭の仕事へ』

自然は、最初から美しいわけではありません。
光を奪い合い、枯れ、淘汰され、残ったものだけが風景になります。
森を見上げると、木々が同じ角度で枝を伸ばしていることがあります。
それは調和ではなく、生き残るための競争の痕跡です。
けれど長い時間の中で、その競争はやがて共存のような姿に変わり、人はそこに「美しい自然」を見出します。
庭をつくるとは、その小さな物語を読み取り、森が何年もかけてつくった時間のどこを切り取り、暮らしのそばに置くかを決める仕事です。


ちょうどいい自然は、偶然では生まれません。
何年もの観察と選択の積み重ねによって、はじめて成立します。

自然は、やさしくない。

植栽工事

だから、私は庭にする。

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